新型コロナの感染者は日本全国で増え続け、東京以外でも1日に100人を超える県も散見されるようになった。そして我が横浜のある神奈川県も今日は119人を数えるに至った。そんな中、半年ぶりに埼玉の病院に出掛けることになった。何故埼玉の病院かと言うと、担当医師の転勤に付いて行ったためである。元々は筆者が勤めていた病院(品川)に居たのだが、その後、東京の御茶ノ水、そして今は埼玉の北浦和になっている。今は薬を貰うのが中心で三か月に一度通院しているのだが、前回は緊急事態宣言中で通院せずに薬を送って貰った。今回も通院しないと、次回は初診扱いとなり特別初診料が別途5千円かかるということで、意を決して出掛けたのである(苦笑)。さて、MLBの大谷翔平にちなんで始めた「二刀流」シリーズであるが、本家の大谷は肘の治療で今期も二刀流は適わず残念なことであった。奈良吉弥の二刀流については第436夜で紹介したのだが、その時には片方(木地山型)だけの紹介であった。先日、ヤフオクで待ちに待ったもう一方の鳴子型(小松五平型)が手に入ったので、今夜はそれを紹介しよう。口絵写真は、鳴子型の表情である。
日本全体の自粛体制の中、こけし産地もすっかり落ち込んでしまったようだ。一日も早いコロナの終息を願って、「お百度参り」ではないが、緊急事態宣言の終了日(5/6)まで本ブログの更新を毎日続けたいものである。さて、昨夜の木地山こけしの繋がりで今夜は奈良吉弥を選んだ。大湯温泉の奈良吉弥は当初新型こけしの木地を挽いていたが、昭和37年に仙台の鈴木昭二と知り合ったことから、鈴木清・昭二の弟子となって本格的に木地修業を行った。3年半の後、大湯温泉に戻って地元の木地山系に倣ったこけしを作り始めた。その後、大湯温泉の小松五平の木地も挽き、昭和43年に五平が中風で倒れてからは鳴子系の五平型のこけしも作り始めた。それから僅か3年後の昭和46年に交通事故で早逝したのが何とも惜しまれる。(現時点では、五平型のこけしが手元に無いので、木地山系のみの紹介となるので悪しからず)。口絵写真は木地山系の表情である。
最近のコメント