胴上下に2本の太い緑のロクロ線を締め、頭には満艦飾を思わせる赤の細かい手絡模様を華麗に配した秋保のこけしは、こけし界随一の美人こけしとして輝きを放っていた。そんなこけしに憧れて秋保工芸の里を訪れたのは平成24年の7月、照りつける太陽が眩しい季節であった(第740夜)。こけしの名門菅原家は既に無く、山尾家も事前の問い合わせにこけしは作っていないということであった。秋保こけしとしては唯一残っていた佐藤円夫さんを訪ねた。お父さんである武雄さんの古いこけしを見てもらうためであった。佐藤三蔵ー武雄ー円夫と続いている佐藤家の秋保こけしも、今作られているものは現代風にアレンジされており昔日の面影は遥か彼方に行ってしまったようであった。その円夫さんも平成29年に亡くなり、今は息子の武直さんが後を継いでいるのであろうか。さて、先日ヤフオクで入手したのは菅原庄七の4寸こけし。小寸のこけしでありながら、その存在感は半端ではない。口絵写真は庄七小寸こけしの表情である。
いよいよ菅さんが総理となって日本の舵取りを行うことになった。自民4役や新内閣の顔ぶれを見ると、サプライズ的なものは見られず、安部さんを引き継いで菅さんらしい堅実な布陣と思われる。今回の内閣は長くて1年の暫定的なもので、菅さんが本領を発揮するのは総選挙を経て本格的な内閣になってからであろう。ところで、今ヤフオクでの話題は、将棋の藤井二冠が王位を獲得した第61期王位戦の封じ手3通に尽きるだろう。締め切りまであと4日を残した今時点で、第4局は2千万、第2局は1千万、第3局でも5百万を超えている。最終的には幾らまで上がるのか気になるところである。そのヤフオクで、先日こけしの出品を眺めていると、締め切り10分前に秋保の豆こけし3本セットを発見した。それまで全然気づかずにいたものである。以前、同じ秋保の庄七の豆こけし3本セット(第48夜)を入手しており、今回のものにも手が伸びた。最終的な競り合いに何とか勝って無事落札。今夜はそのこけしを紹介しよう。
緊急事態宣言が出てから一週間、休日の自粛は目標の80%に近いところまで行くが、平日の通勤状況にはあまり効果は表れていないようだ。今がピークと考え、これ以上の感染拡大を何とか抑えたいものだ。国恵も週に一二度、食料の買い出しに行く以外は自宅でインドア・ワークに勤しんでいる。必然的にヤフオクでこけしを見る機会も増えている次第。そんな中、先日は二重の愛らしいこけしに目が行った。菅原庄七のこけしである。庄七のこけしに二重瞼のものがあることは知っていたが、これまでは大寸のものが多く、今一つ入手には至らなかった。今回の庄七は6寸の大きさ、同じ6寸の三蔵こけしを持っているので、並べて見たいと思い入札に参加した。今夜は、その二重の庄七こけしを紹介したい。口絵写真はその表情である。
昨3日(水)は、足利フラワーセンターに藤の花を見に行ってきた。この時期、ツツジなどと一緒に藤の花も咲いているのは知っていたが、本格的に見た事はなかった。都内では亀戸天神が有名であるようだが、世界的規模という言葉に釣られて足利まで足を延ばしたのである。足利フラワーセンターでは、4色の藤が時期を少しずつずらせて咲くのであるが、今はその内の3色(うす紅、紫、白)が見頃を迎えており、残りの黄色はこれから咲き出すところであった。広い敷地の各所に植えられた藤の花はまさに壮観の一言であった。さて、こけしは秋保の佐藤三蔵。これまで入手する機会がなく、ようやく国恵志堂コレクションに参加したものである。口絵写真は、その三蔵の表情である。
秋保のこけしと言えば、菅原庄七が完成させたやや太めの胴に大きな頭を載せ、胴上下には緑の太いロクロ線、切れ長の二重瞼で頭には満艦飾と称せられた赤い手絡模様のこけしが頭に浮かぶが、それ以外に戦前に「新型」と呼ばれた頭頂部を青く塗った青坊主こけしがある。この青坊主が庄七の創作かどうかははっきりしないが、佐藤吉雄も同様のこけしを作っている。吉雄は佐藤三蔵の養子になったが、元は庄七の実弟であり、こけしも庄七に倣ったから、この様式も取り入れたのであろう。今夜は、そんな吉雄の青坊主を取り上げてみたい。口絵写真は、その吉雄の表情である。
ここのところ秋保のこけしを扱うことが多くなっているが、今夜は未だ触れていなかった佐藤武雄のこけしである。佐藤三蔵の長男であり秋保こけしの本流とも云える立場にある武雄であるが、庄七はもちろんのこと武治や吉雄にもまして取り上げられることが少ない工人である。戦前に木地修業をしたとは言え、その期間は短く、こけしも殆ど残っていないようだ。戦後は多く作っているが新形の影響は避けられず、こけしを習った当時の味わいは感じられない。口絵写真は昭和20年代の武雄こけしの表情である。
年末から年始にかけて穏やかな年越しを迎えた2016年であったが、ここのところ、株の暴落が続き、SMAP解散が紙面を賑わしたと思ったら、昨日はツアーバスの事故で多くの若い命が失われた。来週には大寒波が押し寄せるとの予報も出ている。今後の波乱を予想させる1月である。さて、こけし界で秋保というと、菅原庄七が連想されるほどの第一人者であるが、その分、山尾武治や佐藤吉雄は語られることが少なく、文献等でもあまり触れられていないのが残念である。そこで、今夜は、山尾武治のこけしを改めて考えてみたいと思う。口絵写真、昭和15年の武治こけしの表情である。
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