第498夜:2021年元旦(松一こけし)
コロナ禍で激動の一年となった2020年の大晦日は全国で4500人を超える新規感染者となった。最早、欧米の感染者数が対岸の火事とは言えない状況になりつつある。そんな中にあっても、東日本では荘厳な初日の出が見られ、自宅からは朝日に輝く壮麗な富士の姿を拝むことが出来た。一日も早いコロナの終息を願わずにはいられない。口絵写真は、新春に相応しい伊藤松一さんのこけしである。
コロナ禍で激動の一年となった2020年の大晦日は全国で4500人を超える新規感染者となった。最早、欧米の感染者数が対岸の火事とは言えない状況になりつつある。そんな中にあっても、東日本では荘厳な初日の出が見られ、自宅からは朝日に輝く壮麗な富士の姿を拝むことが出来た。一日も早いコロナの終息を願わずにはいられない。口絵写真は、新春に相応しい伊藤松一さんのこけしである。
ここ横浜では、コロナ禍の現実が嘘のように穏やかで暖かい大晦日を迎えた。しかし、東京では新規感染者数がついに千人を超えてしまった。本ブログも404夜で今年のスタートを切ったのであるが500夜には3夜足らずに今年を終えることになってしまった。さて、今年の最後は小寸ながら存在感のある大沼健三郎にご登場を頂こう。健三郎のこけし製作歴は長く、戦前から戦後の50年代まで多くのこけしを残している。国恵が収集を始めた40年代後半から50年代にかけては、第2次こけしブームの人気工人として、そのこけしの入手は簡単ではなかった。その健三郎のこけしと言えば、やはり戦前作、それも復活初期の昭和12,3年代のものに最も心を惹かれる。「こけしの世界」掲載の久松蔵品や「木の花」掲載の中屋蔵品は垂涎の的である。しかし、その手のものは市場には出て来ず、戦前ものでよく目にするのは15年以降のものである。15年のものはかなり出回っているが作風にはかなり幅があるようで、時期の早いものほど初期の作風が残っているようだ。先日ヤフオクに出た健三郎も15年頃のものと思われるが、木地形態・描彩の古風さに惹かれて入手した。口絵写真はその表情である。
正月まであと2日、東京での新型コロナ新規感染者数は900台半ばとなっている。年末年始は検査数も減るので1000の大台突破は来年になってからか…。さて、年末の鳴子古品シリーズの三日目。今夜は秋山忠のこけしを取り上げる。忠のこけしというと第491夜でも紹介したように角のある眉と三角形の下目が特徴的な鋭角的な表情のこけしが頭に浮かぶ。そんな中にあって、国恵志堂には頭が縦長で目の位置も高く明るく優しい表情の忠こけしがあった。そのこけしは偶々出来たものかと思っていたが、それに類するこけしをヤフオクで入手したので紹介したい。口絵写真はその表情である。
2020年も最後の週を迎えた。東京では、新型コロナの新規感染者が千人超え目前に迫っている。しかし、毎日のように新規感染者数が過去最高を記録しているとマンネリ化してくるのも否定できない。我々高齢者は、リスクを避けて家に籠り、家族以外とは殆ど会わないでいるのが一番の対策であろう。12月に入ってから、ヤフオクでは鳴子の古品が時々出てきており、それを丹念に集めてきたの、今年最後の紹介としたい。今夜は、鳴子系の桜井昭二である。昭二は名前の通り昭和2年の生れ。昭和生まれの工人で戦前のこけしが残っている稀有な工人でもある。その後の髙橋正吾、遊佐福寿、大沼秀雄の世代となると戦前作は作られていない。口絵写真はその戦前作の表情である。
東京のコロナ感染者が800人を超え、益々増加の傾向を示す中、空からは一気に大量の雪が落ちてきて、関越道では1000台を超える車が雪の中に閉じ込められてしまった。正月まで残り2週間を切ったが、厳しい状況が続く中で年越しを迎えそうである。さて、昨夜に続いて精助こけしの紹介である。こちらは半年ほど前に入手した小寸のペッケ型である。精助のペッケについては第118夜で昭和14年作を紹介しており今夜のペッケで2本目となるが、前回作と比較しながら紹介しようと思う。口絵写真はその表情である。
師走も中日を過ぎ、お正月まであと2週間余りとなったが、コロナ感染は依然増加傾向を続け、年末年始2週間のGotoトラベルも一時中止が決まった。今年1年のこけし界を振り返えると、やはりコロナ禍に振り回された1年であったと言えるだろう。こけしのイベントは若い愛好家を中心に多くの人が集まって「密」を作る場となることが避けられず、主要なイベントは軒並み中止となってしまった。友の会の例会も3月から12月まで中止が続いており、10月からは「オンライン例会」が開かれている。来年1月の新年例会は開催の方向で、色々な対策を検討しているが、どうなるであろうか…。さて、弥治郎系の髙橋精助のこけしは、その辛口の佇まいが気に入っており、入手の機会を伺っていた。しかし精助のこけしは昭和14~16年の復活時のこけしが小寸のペッケを中心に少知られているだけで、市場に出てくることもあまり無い。その精助の大寸こけしが先週ヤフオクに出品され、日曜日に締め切りを迎えた。程よく古色が付いているが退色は見られず状態の良いこけしであったが、最低価が高かったためか応札者が現れず、無競争で入手することが出来た。今夜はそのこけしを紹介しよう。口絵写真は、その精助こけしの表情である。
胴上下に2本の太い緑のロクロ線を締め、頭には満艦飾を思わせる赤の細かい手絡模様を華麗に配した秋保のこけしは、こけし界随一の美人こけしとして輝きを放っていた。そんなこけしに憧れて秋保工芸の里を訪れたのは平成24年の7月、照りつける太陽が眩しい季節であった(第740夜)。こけしの名門菅原家は既に無く、山尾家も事前の問い合わせにこけしは作っていないということであった。秋保こけしとしては唯一残っていた佐藤円夫さんを訪ねた。お父さんである武雄さんの古いこけしを見てもらうためであった。佐藤三蔵ー武雄ー円夫と続いている佐藤家の秋保こけしも、今作られているものは現代風にアレンジされており昔日の面影は遥か彼方に行ってしまったようであった。その円夫さんも平成29年に亡くなり、今は息子の武直さんが後を継いでいるのであろうか。さて、先日ヤフオクで入手したのは菅原庄七の4寸こけし。小寸のこけしでありながら、その存在感は半端ではない。口絵写真は庄七小寸こけしの表情である。
久し振りの更新になってしまった。例年なら、こけし関係のイベントが目白押しとなる時期であるが、コロナ禍が未だ鎮静化しない現在、開催は難しいのであろう。開催に意欲的であった「みちのくこけしまつり」は中止が決まったようである。唯一の楽しみでもあるヤフオクもここの所、ワクワクするような出品は見られない。そこで、以前入手したものの未だ本ブログで紹介していないこけしを探してみた。今夜は秋山忠のこけしである。2年ほど前、正吾さんに慶一郎写しのお願いをした時に、忠こけしは作らないかと聞いてみた。正吾さんは即座に孫の忠男さんが居るのだから忠男さんに頼んだらどうかとやんわり断られた。正吾さんが作るのはあくまで後継者が居なくなったこけしということであった。口絵写真は忠こけしの表情である。
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